20150525-A2-HORII00003

▼撮影情報:Nikon D800 | AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED | f3.5 | 1/640 sec | ISO 400

蔦に絡まれた鷲のワンショット。鷲に絡む蔦のワンセンテンス。

西洋絵画は三次元の世界を二次元のキャンバスにどう再構築するかに焦点をあてた。だから遠近法を考え、光と影を操り立体を絵の中に閉じ込めた。東洋絵画では二次元の世界で三次元をどう表現するかに焦点をあてた。立体を平面で捉え二次元で表現してきた。だから写実ではないデフォルメされた日本絵画が生まれた。浮世絵はその最たるものである。茶道では茶碗を正面に、華道では鑑賞は正面からというように、日本では立体ではなく面が大切にされてきた。

三次元から二次元、立体から平面への転換には余分なものを排除する働きが必要である。目に見えるもの全てを写実する西洋に対し、東洋では描くべきもの以外を徹底的に排除し余白すらいとわないのである。これが余白の美へと繋がる。

一輪の朝顔という逸話がある。利休の屋敷に朝顔が咲き乱れていると耳にした秀吉は茶会を所望する。秀吉が利休の屋敷を訪れると全ての朝顔は刈り取られ、そして茶室には一輪の朝顔がいけてあった。これが千利休の美意識、日本の美意識である。

余白に美しさを感じ、余白によって対象の美しさを際立たせる。この美意識は写真文化にも受け継がれる。その例が写真表現方法の1つであるボケという技術である。英語ではBOKEHと書き日本の芸術表現が海外へ輸出された事例である。さて、余白が消えるほどの文量になった。