▼撮影情報:Nikon D4s | AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED | f5.0 | 1/3000 sec | ISO 100

蔦に絡まれた鷲のワンショット。鷲に絡む蔦のワンセンテンス。

狂乱バブルの中、テーマパークが数多く日本に誕生した。その背景には地方自治体のブランド力向上、民間企業の事業多角化、米国の輸入圧力、そして大衆娯楽の多様化があると言われている。

当時、約200のテーマパーク事業があり70近くが実際オープンした。そしていま、いくつのテーマパークが生き残ってるだろうか。言葉を変えれば、なぜディズニーランドだけが生き残ったのだろうか。その答えは、この寂れた観覧車にある。

美術批評家のルイ・マランは、ディズニーランドでは駐車場と入場券売り場が「車と貨幣との二重の中性化、そしてそれらの<ユートピア的な>他者への転化」という役割を果たしているという。つまり人々は、駐車場で移動手段という車を、入場券売り場で貨幣を放棄することでディズニーランドという世界にはじめて入ることができるのだ。

ディズニーランドの世界に入ってからも、弁当や酒の持ち込みは禁止され、落としたゴミもすぐさま清掃員によって拾われ完全無菌状態が保たれる。そして園内からは外部を見渡せず、さらに個々のエリアを超えて端から端まで見渡すこともできない。

このようなディズニーランドの空間的な閉鎖性や自己完結性こそが、写真にある寂れた観覧車に代表される従来のテーマパークとの差異である。もともと博覧会の強い影響下に生まれた遊園地やテーマパークにとって、俯瞰する装置が娯楽の中心であった。

塔やパノラマ、気球、観覧車といった娯楽装置は共通の意志をもつ。すなわち特権的で中心的な視点から周囲の世界を俯瞰していくという意志である。この俯瞰する眼差しの有無こそが消えていったテーマパークとディズニーランドとの決定的な差である。

近代以前、世界を俯瞰できたのは天守閣に登ることが許された殿様だけである。テーマパークや遊園地がエレベーターや観覧車で人々を天高く導くのは、こうした特権的な眼差しを体験することを目的としていたにほかならない。殿様の眼差しになぞらえることが、テーマパークに与えられた娯楽の役割だったのである。

一方で、ディズニーランドが目指したのは映画の世界である。もともと映画制作チームによって設計されたディズニーランドは、俯瞰する眼差しとは別次元の映像的な空間である。人々の視点を園内に限定し、外部への視野を遮断する。

殿様に憧れて生まれた娯楽施設は役割を終え、閉鎖的で自己完結的なテーマパークだけが生き残った。メディアや映像に取り囲まれ日常そのものがメディアによって構成されていた閉鎖的な時代はまだ続く。